東洋医学の現状と未来
イントロダクション
東洋医学の現状に対し、我々はどう認識すべきか。この問いに対し、私は、自身36年のキャリアを通じて、ずっと考えて来た。歴史が残してくれた文化遺産との見地から言えば、東洋医学は丸ごと至宝であり、何も引かず、何も足さずにキープし、次世代に残しておくべきであろう。
しかし、東洋医学は未だに運用されている臨床学科であるとの認識に立てば、私はその現状に対し、大きな憂慮を抱いている。綱領的なものであるはずの陰陽や五行を以って細部にわたる人体の生理病理及び臓腑間の複雑な関わりを説明し切れるのか。経絡の本質は何であるのか、なぜ未だに発見できないのか。脈診の診断価値は過大評価されてないのか。それに何よりも、何百、何千年単位の中で、東洋医学の知識内容がなぜほぼ不変であるのか。その「不変」が、東洋医学はもう完璧で修正する余地がないと言う理由によるものか、それともただ変化を拒んできた結果なのか(対して、西洋医学も、天体物理学も、その他数多くの自然科学の学科もこの間に多大な変化が成し遂げている)など等。今日、この場を借りて、自身も東洋医学で生計を立てている一員として、私は、自分の未熟な見解を述べながら、皆様と討論して行きたいと思います。
一、東洋医学理論は経験、哲学及び推測、思い込みの集合体である
東洋医学の経験部分は非常に価値のある部分ですが、中にはあてにならないものも多々ある。哲学的な部分は(例えば人体の整体観、天人相応等)我々の思惟方式に多大な指導的な役割を果しており、場合によっては現代医学にもプラスの影響を与えた。推測や思い込みの部分は、言うまでもなく、科学的な検証を受ける必要がある。
1、東洋医学中の経験
(1)確たる経験
治療学の面で言えば、麻黄と言う漢方薬に発汗、平喘、利尿作用があるとの記述は実に素晴らしい。一般的な考え方に、漢方薬は即効性・再現性に欠けるとしているが、麻黄の前述効果には即効性もあり、再現性もある。ではなぜ、麻黄にこんな確たる効果があるのか。現代の研究結果によると、麻黄にはアドレナリン様成分が含まれており、以上の効果はまさにアドレナリンと似たような効果である。
その他、甘草の多岐にわたる作用は、類ステロイド様作用であると現代研究結果が教えてくれた。我々の先人達は、一時の西洋医師と同様、ステロイド剤(薬草版)を愛用していたようだ(漢方の伝統的な処方の中に甘草が含まれるものは実に多い)。
更に、黄連、黄柏、黄芩の清熱効果、常山の抗マラリア効果、大黄の瀉下効果、雷公藤の抗リウマチ効果など等、どれも現代研究によって実証されている。
また、診断学の面から言えば、血虚症の舌淡、肝胆病の「陰黄」などの望診記述や、外感発熱時の浮数脈、妊娠時の滑脈などの脈診記述等、臨床実際と高度に合致している。このような貴重な経験は東洋医学の中に沢山散在しており、東洋医学の価値ある部分である。
(2)更なる検証を必要とする経験
例を挙げると、至陰灸の逆子矯正説はこれに属すると思う。臨床を実際にやってみて効果の有無は五分五分としか言えないのが実状であると私は見ている。
2、東洋医学中の哲学
寒者熱之、熱者寒之、虚則補之、実則瀉之、など等、どれも、瑕疵のない正しいルールである。その他、「天人合一」や、人体の整体観など、人体を一つの有機体としてとらえるだけでなく、人体と気候や自然環境の関わりまで、健康の維持や疾病の発生、発展の影響要素として考慮に入れたことは、つい最近まで分析の手法を主とする西洋医学へも影響を(気象医学等学科の誕生)及んだと言える。
3、東洋医学中の推測や思い込み
カルシウムを含んだ牡蠣の殻や、恐竜の化石である竜骨などが鎮静安神の作用があるとの認識から、「重いものが鎮静安神の作用がある」との拡大推測が生まれ、ついに鉄クズ(「医学心悟」中の生鉄落飲)や黄金(「太平恵民和剤局方」中の紫雪丹)までも鎮静安神の為に使おうとの発想が生まれた。これらの鉄や黄金が果して所期の効果があるか否かは、臨床実験しないと断言できないが、私個人的には懐疑的である。
時には、証拠の裏付けよりもイメージが先行してしまう場合がある。トラのペニス及び黄鳝 (中国名、英語名はMonopterus alba、日本のウナギと似ている)の壮陽作用や、カボチャの蔕の安胎作用等はこの類に属すると思う。黄鳝にはタンパク質が豊富だろうが、豚肉や魚とタンパク質の含有量において、大差があるとは思えず、かつ何よりも実際に黄鳝を食べて性欲低下か勃起不能の男性達が本当に元気になったとの話はあまり聞かれない(とってもバイアグラの比ではない)。ではなぜ、黄鳝に壮陽作用があると言うのか。私見では、田んぼの深い穴に生殖している黄鳝は穴の出入りが得意との点で、イメージ的に、強いペニスと結び付けられたのだ。黄鳝とウナギは似てはいるが別物である。日本ではウナギに壮陽作用があると聞くが、中国の黄鳝の話に影響を受けた故か否かは不明である。トラのペニスのストーリも、似たような理由で生まれたのです。では、カボチャの蔕はなぜ安胎に?答えはやはりイメージ。カボチャの蔕は強靭で、重いカボチャをがっちりと藤に繋げてくれるから、これを煎じて飲めば、胎児をもがっちりと母体に繋げてくれて、流産は避けられるでしょう、との具合。
言うまでもなく、臨床で実際に応用してみても、所期の効果が得られるとは思えない。
また、「左は陽、右は陰」との区分から、母体の中に居る胎児の性別を鑑別しようと、古籍の中にこんな記述がある:妊婦を歩かせ、ご主人が後から奥さんの名前を呼び、奥さんがご主人の呼び声に反応して、右―ターンか左―ターンで後ろへと振り向く。胎児の性別判断はこうである: 右―ターンなら女、左―ターンなら男。科学的とは思いませんが、沢山試せば、当り率は50%には近づきますが。
上に触れた例が極端と指摘されるかもしれないが、極端でない例は以下のようにある:
五行学説からの類推では、心の色は赤だから、赤い漢方は心ないし心経に入ると。同じ発想で、青い漢方は肝、黄色漢方は脾、黒い漢方は腎、白い漢方は肺など等。これらの持論が臨床でどのぐらいの確率で当たり、どのぐらいが外れかは、厳密な臨床観察をしないと分りませんが、確たる科学的な根拠のある持論とは思えない。
以上は東洋医学の理論や漢方についてのお話がほとんどですが、経絡や鍼灸も例外ではない。経絡については、その走行は詳細に描かれているのに、経絡そのものは、電子顕微鏡もあり、遺伝子の塩基配列まで解読できた今の時代でさえ発見されていない。では、我々の先輩達は、先進的な観察手段もない時代に、どうやってこんな対称的で複雑な経絡を発見できたのでしょうか?私見ではあるが、最も合理的な説明は、古人が、当時までに発見された穴(ツボ)、或いは穴と思われるポイントを秩序的に繋ごうと思っているうちに、断片的な血管(静脈)を見たり、刺鍼時に鍼感の響き(当然ながら感覚は神経に沿って伝導するが)を経験したりして、これら断片的な部分を使い、沿線に可能な限り散在的な穴を組み込ませながら円滑に繋いで描かれたものが後の経絡ではないかと思われる。
二、東洋医学の臨床現状
現代医学の補完として人類の健康に多大な貢献をしているが、いろいろな問題も存在している:
1、東洋医学理論が臨床実際に対する指導力が弱いことから「個人流」が生まれる
「うちは刺さない鍼」、「ここは置くだけの鍼」との話は患者さん経由でよく聞ける。鍼治療の概念との原点に返ってみれば、「刺さない」及び「置くだけ」の鍼は果して鍼治療になるかどうかは疑問が残る。ではなぜこれらの「治療」法を選ぶのか?原因は、刺入痛の回避や安全面への配慮(折鍼や出血、感染への心配)等いろいろあろうが、最も重要な原因は、確たる効果を得られる刺鍼法はどの教科書からも示されていないからであると個人的に思っている。仮に、特定の経穴に所定の深さで刺せば、必ずこのような効果が出る、あるいは反対に、この経穴であっても、所定の深さに刺さなければ効果は出ないようなデータが教科書から示されてあれば、「刺さない鍼」及び「置くだけの鍼」は選ばれることはないでしょう。
「個人流」の内容は以上に限ったものではない。自然科学を当惑させるような「個人流」も時折見られる。診断には「○○テスト」、アドバイスには「タンパク質を取っちゃ駄目」、刺鍼の時は鍼体を介して「気を吹き込む」など等、どれも、厳密な科学的な根拠に基づいている内容とは思えない。
では、なぜ、西洋医学業界ではそこまでの「個人流」はないのか(ホメオパシーや時には不可解な治療をしている医師も稀には居るが)?なぜ我々東洋医学業界ではこのような現象が随所見られるのか?理由は、西洋医学の理論は臨床実際に指導的な役割がきちんと果しており、対して我々東洋医学の理論は、臨床において、指導的な役割が果たせていないからと、私個人的には見ている。
学校教育の臨床実習に於いても、時折気になることがある:学生達は、捻挫の患者さんに対し、よく「肝虚」との弁証をつける。理由を問いただすと、「肝主筋」(肝臓が筋を司る)だからと言う。そこで私はみなさんに、肝臓の丈夫な方は、一般的な人なら捻挫になるようなできことに遭われても、捻挫にならないでしょうかと聞く。学生達はどうやら自然発症と外力による発症のメカニズムの違いを意識せず、「肝主筋」との東洋医学の記述を機械的に運用しているようだ。もう一つ、極端な例であるかもしれないが、実在の話として、ある来診の患者さんが、2年足らずの受診期間に、15種類の病証がつけられた(参考資料1)。こんな頻繁に証の変遷が本当にあり得たのか?これらの弁証、本当に根拠に基づいたものであったのでしょうか?
2、脈診の診断価値が過大評価されている
どんな素晴らしい診察手段であっても、診察する側の人間がその手段をマスターできなければ、診断に役に立てない。数十種類ある脈診の中の大半はそれに属する。中国朱文鋒氏らの「中医診断学」に収録された浮、沈、遅、緩、数、疾、長、短、虚 実、洪、細、滑、渋、弦、緊、微、弱、散、濡、芤、革、牢、伏、動、促、結、代28種類の脈を例に、皆さんは是非自問して、自分ならこれだけは確実に見分けがつくと。私事で申し訳ありませんが、私の修士課程の専門は中医診断学であって、研究テーマはまさに脈診研究である。よって、脈診に対して、愛着がないわけではない。上海に居た当時、私は名老中医(中国で経験豊かな東洋医学医師に対す呼び名)3人の先生にお願いして、数百名の大学生と数百名の外来・入院患者さんの脈診をして頂き、チャートに記録して頂いたことがある。3人の先生から得られた同一検体の脈診結果は一致しないことが多かった。数十種類の脈に我々が見分けられる否かは別にしても、実際の臨床に診断価値のある脈は何種類でしょう?
脈診の寸関尺と臓腑の対応関係はどうでしょう。寸、関、尺各々の部位から、対応とされる臓腑への横的なつながりがない状態で、どうやって、対応関係が生じ得るかは実に不可解である。寸口脈診の区域にある10センチそこそこの橈骨動脈の、人為的にされた3つの区分が、遠く離れた臓腑の変化を如実的に反映できるとの考えはあくまでも東洋医学のイメージであり、生理病理学的な裏付けがあるとは常識的には考えられないのである。
話は再び学校教育に戻るが、有資格者の臨床実習でこんな現象があった:実習用カルテに、脈診のチャートと血圧計のデータ両方の記録欄があって、時折以下のような現象が見られる:血圧計データの脈率が毎分60前後なのに、脈診のチャートには数脈と書かれ、逆に脈率が80前後あるのに、チャートには遅脈と記録してある。記録ミスでも、個別現象でもない。これらに対し、どう解釈すればよいのでしょうか?血圧計の故障?うわべの脈診?それとも遅数脈でさえマスターするのも容易ではなかった?
3、病状に対する認識や現象への解釈に誤りが普遍的に存在する
仮の話ですが、不眠症で診察しに来た患者さんに対し、「骨盤が傾いている」、「足の長さが違う」と施術者が患者さんに告げ、「これから矯正してあげる」としたら、皆様はどう思われますか?ここで私はポイントが三つあると見ている:第一、骨盤の傾きや足の長さの違いが本当にあったのか?第二、もしこれらの徴候が本当にあったとしたら、不眠症の原因になっているのか?第三、徴候も確実で、原因にもなっていると認められた場合、施術者が徒手で矯正できるのか?個人の経験から、第一についてはどっちらの可能性もあるが、第二、第三についてはほぼ否定的である。
以上の例は、施術者側が患者さんの主訴に対し、的確な診察をしておらず、大衆向けのテレビ番組の域から出ないような内容しか語れない現象が東洋医学臨床で日常的に行われていると言いたかったのである。
吸い玉(別名吸角、中国では抜罐と呼ぶ)治療については、一部の誤った解釈が「常識」になっているようだ:吸い玉をした後に紫の痕跡が残った場合は、体内に瘀血がある証拠とか、吸い出された血が凝固した現象を見て、体内の血がドロドロであるとか。どっちらも間違った解釈である。強く玉を吸えば、どなたの体表にも紫の痕跡を残せるし、吸い出された血が正常では凝固することになっている。仮に凝固しなかったら、それこそが血液の凝固機能に問題があって、異常である。
東洋医学の範囲ではないが、こんな話が私の日常診療中にあった:ある健康食品を服用した後に、身体及び四肢に酷い発疹が現れた若い女性の患者さんが来院した。問診望診の後、この健康食品によるアレルギーである可能性が極めて高いと説明し、服用を中止した方が良さそうだと告げたら、その患者さんは、この健康食品を薦めくれた先生の話を持ち出し、発疹はこの健康食品のデトックス効果によるもので、体内の毒素を出されたから発疹になったのだと。毒素を出され切ったら、発疹は消えるし、身体は今よりも健康になると。科学よりも偽科学の方が人心を掴んだ瞬間である。
三、東洋医学領域の学術研究現状
大分古い時代から伝わってきた学科としての東洋医学ですから、完璧に要求すること自体が不合理であると承知している。但し、洋の東西を問わず、医学である以上、その目的は疾病の予防と治療である。この目的をよりよく果たす為には、非科学的な部分を取り除き、新しい科学的な発見があった場合にはそれを新たに加えて、我らの東洋医学をより科学的な学科に発展させる必要がある。知識更新の原動力は臨床観察や科学実験であるが、普及範囲の限りや法規制等諸事情により、東洋医学は西洋医学に比べて、臨床観察も、科学実験もまだ貧弱である。観察や研究の内容から見ても、鍼灸や漢方の治療効果に関するものが多く、東洋医学の「理論」に対する検証は乏しい。欧米からの研究は、経穴の特異効果に対する否定的な結果が出ている一方、中国の研究は古籍の記述を追認する結果が圧倒的である。私は中国の出身で、上海の中医薬大学の大学院の修士課程を修了した者である関係上、中国の研究現況に接する機会がよくある。率直に言わせて頂くと、中国国内の研究が、質の高いものがそう多くないと言わざるを得ない。古籍の記述が中国の研究によって追認されたとしても、喜べるものではない。
2010年、著名サイエンスジャーナリストサイモン・シン等による著作「代替医療のトリック」一書が日本で翻訳出版された。書中では、鍼治療に対し、大変厳しい指摘をしていた。私がかつて所属している日本鍼灸師会の関係者は師会の会誌で、反論文章は出したが、私が読んでいる限り、その文章は有力的な反論とはなっていない。
中国の研究に話を戻る。ある学者はこのような臨床研究をした:子宮頚部を開いてから1時間が経っても、赤ちゃんが産まれない産婦さんにオキシトシン(分娩時の子宮収縮を促す働きを持つホルモン)を合谷穴に注射し、結果としては注射後の早い時間内に、高い割合で、注射を受けた産婦さんが、赤ちゃんを順調に出産したと言う。ここでこの研究者は、合谷は出産を促進する効果があると結論つけた。私はこの研究の元論文を読んでいませんが、この研究に関する内容摘要は中国内では「学術レベルの高い」参考書に載っている。ここで私が知りたいのは、オキシトシンを仮に合谷穴ではなく、曲池穴や、あるいは思い切ってお尻や肩部の三角筋に注射したら、結果はどうだったのでしょう。
私見では、大病院や大学の医学部、あるいは日本の鍼灸師養成学校などがその気になれば、東洋医学に対して、有意義な研究がいくらでもできると思う。経絡が神経系に独立した存在との説を検証したければ、動物においては神経の切断、人間においては神経をブロックした上で、経絡の伝感や、経穴の治療効果を調べれば、「経絡」が神経系を必要とするか否かは分かるはず。
私自身、臨床実践を通じて、いくつかの通説に疑問を持った:妊娠3か月以内及び出産前3か月以内の禁鍼、免疫低下時の禁鍼、出血性疾病への禁鍼など等。これらの禁忌、どれを破っても差し支えはなかった。そもそもこれらの禁忌には根拠が乏しく、西洋医学臨床を見ても、妊娠中にも、免疫低下にも、出血傾向にも、注射は禁忌としていないし(注射と鍼治療は同一ではないが、極めて似た様な刺激である)、中国ではエイズにも、血友病にも、妊娠初期の悪阻にも、出産前の胎位矯正にも、みんな、鍼治療が行われている。
四、東洋医学の未来:
東洋医学と現代医学は、その対象や目的が同一である為、最終的には合流すると私は見ている。
東洋医学も、西洋医学も、世界医学も、民族医学も、その内容が科学的であれば、自然科学のルールの基で互いに通じ合えるはず。鍼の鎮痛作用の原理やお灸の免疫増強作用等は、現代医学によって、相当程度解明されている。肝胆病の「陰黄」は、西洋医学では血中のビリルビンと関連していると認識している。血虚の淡白舌は西洋医学では血中のヘモグロビン濃度低下が原因であると解釈。妊娠の滑脈や、外感表証(その多くは現代医学の風邪やインフルエンザー、又は感染症の初期にあたる)の浮数脈は、血流動力学の変化によるもの。波状形の熱を出し、東洋医学では「半表半裏証」と呼ばれるものは西洋医学ではマラリアや、腸チフス等の疾病にあたる(熱のパッタンが一致)。清熱効果のある黄連や黄柏、黄芩、平喘、利尿作用のある麻黄、抗マラリア効果のある常山、瀉下効果のある大黄、抗リウマチ作用のある雷公藤など等、それぞれの主な有効成分は現代医学によって判明されている。中国で臨床診断に多用されている臓腑弁証の内容に、いろんな症候に関する描写が現代医学の特定の病症と高度一致しているところが沢山ある(参考資料2)。
電気鍼による運動麻痺の治療は西洋医学の電極埋め込みによる運動麻痺治療と原理的に似通っている。中国では、多数の効果確実の漢方薬に関しては、注射剤まで作られている。これらの注射剤は、筋肉注射は勿論、規格の高いものは静脈注射にも使われている。
個人的には望診にも西洋医学の知識を取り入れたいところがある:口内炎の時の白苔、ビタミンB12欠乏の時の紅舌、末梢性顔面神経麻痺時の患側額紋減弱または消失、高プロラクチン時の乳中穴周辺色素の深化、運動神経麻痺時の筋肉萎縮など等。
このような東洋医学の「西洋化」を見て、憂慮する方いるでしょうが、個人的には歓迎している。漢方なら、有効成分やその使用量がより的確に把握でき、鍼灸なら、治療効果の確実性や再現性がより改善、東洋医学の理論については、その糟粕が除かれ、その精華が医学教科書の一部となり、我々は医学部や薬学部で教鞭をとり、あるいは総合病院の東洋医学科で診療をし、不利益を被ることはないでしょう。
結 語
現代の人類は古人類から長い年月をかけて進化した結果であると同様、現代科学も、長い年月をかけて、人類が観察や実践、実験を積み重ね、進化した結果であると言える。自然科学の発展には、新しい発見を受け入れ、誤りに気付いた時にはあさりと認める勇気が要る。ダーウィンの進化理論、コペルニクスの天動説、ハーベーの血液循環理論、近年では東京大学小柴昌俊・戸塚洋二氏らのニュートリノの質量がゼロでないとの発見、など等、どれも、長く続いた定説を覆したものである。我々はこれら偉大な方々とは肩を並べるのは難しいとしても、彼らの精神を学ぶことはできるはずである。
参考資料1: O・Y様の弁証変遷
H20.10.9 肝虚寒証
H21.1.27 脾虚熱証
3.2 腎虚証
3.24 脾虚胃虚熱証
6.9 脾虚証
7.2 脾虚熱証
9.1 肝血虚
10.9 肺虚腎虚
10.16 肝腎陰虚証
10.23 肝虚証
10.29 脾虚陰虚熱証
11.6 肝虚証
11.13 肝虚熱証
11.26 肝腎陰虚証
12.7 肝虚熱証
12.17 肝虚陰虚証
12.22 肝虚証
2.10 肺虚
2.18 肝虚熱証
2.26 腎虚熱証
4.9 脾虚熱証
5.7 肺虚肝実証
5.26 肺虚
7.7 腎虚熱証
8.10 肺虚肝実証
参考資料2: 臓腑弁証中の症候と現代医学の特定疾病の症状と一致する例
臓腑弁証の証 現代医学の病名
心脈痺阻証 虚心症
肺熱熾盛証 肺炎
痰熱壅肺証 肺膿瘍
飲停胸脇証 胸水
風水相摶証 糸球体腎炎
胃腸気滞証 慢性胃炎
腸道湿熱証 赤痢
肝胆湿熱証 A型肝炎
膀胱湿熱証 急性膀胱炎